「すべてが中途半端な自分に絶望した」ボクの”これまで”を語ります。

コラム

こんにちわ、ゆーだい(@MusicmanOf)です。
ボクのブログに来てくださってありがとうございます。

初めて来てくださった方は僕のことはまったくわからないと思うので、自分のこれまでをありのありのままにさらけ出してみました。

結構長いので、電車の中、寝る前、待ち合わせの間にでもどうぞ。

 

さくっとこれまでの経歴

  • 名前:石田雄大(いしだゆうだい)
  • 生年月日:1987年5月16日
  • 出身地:鹿児島
  • 出身大学:鹿児島大学法文学部法政策学科
  • 卒業後:司法書士を目指して卒業後2回受験するも不合格
    友人の紹介で保険の電話営業に就職約3年間勤務。
  • 現在:会社員をしながら雇用されずに生きる力を身につけるため修行中。

 

6年間で4つの学校を体験した小学生時代。

昭和62年、鹿児島県鹿児島市にて生を受けます。

警察官だった父親の都合で、小学校の6年間のうち4校変わりました。

小さい頃から超人見知りで、同世代の友達といえば家の近所オンリー。
小学1〜2年生の頃なんて、学校で仲良い友達はほとんどいませんでした。

休み時間はいつも図書室で”はだしのゲン””ブラックジャック”を交互に読みあさり、学校帰りは道路に埋め込んである赤い栓?みたいなやつを踏んで帰る寂しい日々…。

そんなボクをみかねた父は根性を叩き直すため、勤務先の警察署で運営していた剣道少年団に強制加入させます。

誰も知り合いがいないところへ突然放り込まれ、やりたくもない剣道というスポーツを無理やりやらされる。
学校が終わった後、家で平和にハクション大魔王を見ていた日々が一気に地獄へと変わりました。

最初のうちはとにかく練習に行きたくなくて、なんとかウソついて休もうとしてました。
しかしそんなウソをつくたびに、「男ならしんどいことから逃げてんじゃねぇ!!といわれて父にぶん殴られます。

殴られるのはイヤだったので、泣く泣く練習に向かっていました。
しかしこの剣道、当時はイヤでイヤでしょうがなかったですが、今になって思えばやってて本当に良かったと思っています。

  • 多少強引にでも厳しい環境に身をおかないといい結果は出ないこと。
  • 真剣勝負がめちゃくちゃ面白いこと。
  • 毎日の地道な練習の大切さ。
  • 仲間と一緒に助け合いながら目標に向かい、結果を勝ち取ることの楽しさ。

とにかく色々なことを教わりました。

結局小学6年生まで続けたのですが、最後には県大会に並ぶ大きな大会で”団体戦優勝”いう経験もできました。
今でも最高の思い出です

少し話は変わります。
小学校6年間のうちの3年間、映画”もののけ姫”の舞台として有名な屋久島で育ちました。
行ったことあります? 屋久島

”最高”ですよ。

海や川はものすごくキレイだし、ひともあたたかい。
夜空を見上げると、数え切れないくらいの満点の星空。

WEBで稼げるようになったら、もう一度屋久島に住もうと思ってます。
それぐらい最高の環境です。

屋久島では2校経験したのですが、最初の小学校は超平和。
全校生徒の数もなんと”40人”
年齢関係なく、学校みーんな仲良し。
放課後はほぼ毎日友達と遊んでいました。

「友達と遊ぶってなんて幸せなんだ…。」

感動しましたね。
それまでまともに友達がいなかったから余計感動しましたね。
仲良しの友達と遊ぶって、何をやっても楽しいんですよ!

放課後に海ではしゃいだり、
セミ捕りに行ったり、
放課後一緒に帰ったり、

楽しくないことがなにひとつありませんでした。

「何をするかより、誰とするか」

よくビジネス本に書かれていますが、これは真理だと思います。

好きなやつとなにかやればそれだけで面白い。
逆に好きでもないやつとどれだけ面白いことやっても楽しめない。

これは今になって思い返してみると、大きな学びですね。

1年後、同じ屋久島にある別の小学校へ転校します。

新しい学校も、トータル的にはとても楽しかったです。
とはいえ小学4〜5年生というのは難しいお年頃…。

ガキ大将みたいなやつの指示でクラスの全員から無視されたり、授業中ペア組むとき誰もペアになってくれないことなんかもありました。
標的がボクではなく他の誰かに変わった時、ボクも同じように無視を決め込んだこともあります。

悔しくて…
恥ずかしくて…
情けなくて…

小学生ながらに、「正しいのか正しくないのかを自分で判断し、正しくないならそれを貫ける人間になりたい」と思いました。

「◯◯と話すな」という指示を断り、結果として自分が無視の標的になることもありましたが、そっちのが全然よかったですね。

きれいごとではなく、傷つけたくない人を自分の意思に反して傷つけるくらいなら、自分自身が我慢する方が100倍マシでした。
ひとを無視している自分が嫌いになってしまうので。

とはいえ無視されるのはやっぱりしんどくて、気持ちがブレそうになることもあります。
しかし、たったひとり信頼できる人がいればどんなつらいことも乗り越えることができるものです。

その信頼できるひとというのが、”母”。

なにかあっては母に泣きついていましたね。
母はいつも弱いボクの味方でいてくれました。
優しく話を聞いてくれました。
ぶっちゃけボクは相当のマザコンだと思います。笑

母にはこれまでとても返し切れないだけの恩を受けてきました。
一生をかけて恩を返して行こうと決めています。

ちなみにガキ大将みたいなやつとは、その後むちゃくちゃ仲良くなりました。
屋久島離れたあともしばらく連絡取ってました。

ケンカして、話して、わだかまりが溶けたのです。
小学生なんてそんなもんですよね。笑

母以外にボクの味方でいてくれる友達もいたので、どれだけしんどくてもなんとか乗り越えられたんだと思います。
いい経験させてもらいましたね。

 

挫折だらけ、すべてが中途半端だった中学時代。

剣道を小学生でやめたボクは、中学生になって野球を始めます。

きっかけはあだち充さんの漫画、”タッチ”を読んだこと。

「将来絶対に甲子園で優勝するピッチャーになってやるっ!」

そう決めたボクは、意気揚々と野球部に入りました。
そしてやめました、わずか1年で。

理由は、ピッチャーになれなかったから。笑

ピッチャーになりたかったのにセンターを守らされ、やりたくもない練習に全然面白さを感じることができず、「あほみたい」と思ってやめました。

そしてすぐにサッカー部に入ります。


サッカーはもともとスポーツとして大好きだったので、一生懸命練習に打ち込みました。
…最初のうちは。

1年もたつと、真面目に練習に行かなくなります。
理由は、レギュラー取れないから。笑

今考えるとアホみたいな理由ですが、「レギュラー取れないのに練習してても面白くないじゃん!」と思って練習行かなくなりました。

「勉強に打ち込んでいて部活行かなくなった」のであれば10000歩譲って理解はできますが、勉強の面もどんどん成績が落ちていきます…。

入学した頃は4番だった成績も、2年生の半ばには3ケタ近くまで落ちていました。

親に塾に行かせてもらっているのに、塾では寝ているか友達とふざけてるだけ。
とにかくやる気が起きなくて、全然勉強しませんでした。

勉強、部活、何をやっても中途半端な典型的なダメ人間。
でもたったひとつ、あの頃のボクでも誇れることがあります。

”友達”です。

中学では今でも繋がりがある、一生ものの友達がたくさんできました。

「どれだけ人に嫌われても、大事な友達さえボクのことを好きでいてくれたらそれでいーや」

彼らが今のボクの大きな心の支えになっています。

すこし話は変わります。
中学3年生のとき、当時のボクにとって衝撃の事件が起きます。

『父親の死』です。

真夜中に心筋梗塞を起こし、救急車で病院に搬送。
次に対面した時の父は、もう息をしていませんでした。
当時42歳、若すぎる死でした。

「昨日まで一緒に晩御飯食べながら話をしてたのに…。」

身近な人の死というのは、はっきりいって全く実感がありません。
1年、そして2年とたつにつれて、ようやく実感がでてきます。

忌引きで休める期間も、普通に学校に行ってました。
1人でいると余計なことばかり考えてしまうので、誰かと一緒にいたかったんでしょう。

当時の彼女、親友、友達、そして家族…。
みんなに支えてもらって生きていました。

実のところ、ボクが雇用されずに生きる力を身につけたいと強く思う理由はこの経験にあります。

父はいつも、とてもしんどそうに仕事をしていました。
カリカリして怒ってばかり。
ボクも何度殴られたかわかりません。

あとから母に聞くと、父は亡くなる何年か前から仕事をやめたがっていたそうです。
しかし家を建て、子ども2人をもつ一家を支えるために、やめたくてもやめられなかった。

やりたくもない仕事を歯を食いしばって続けた結果、本当にやりたいこともやれず、ストレスを抱え、ひっきりなしにタバコを吸うことが日常化して病気になり、若くして死んでしまった。

ボクは、自分に起こる結果はすべて自己責任だと考えています。
厳しい言い方ですが、タバコを吸い続けたのも、仕事をやめずに続けたことも、選択したのはすべて父が判断したこと。
結果として死んでしまっても、それはすべて父の自己責任です。

「命かけて支えてもらっていたお前がいうなよ」と自分でも思います。
でもやはり起きた結果は、すべて自分で責任をもつべきです。

とはいえ、もちろん感謝の気持ちを忘れているわけではありません。
父が家族のために必死で頑張ってくれていたのは事実。

僕たちをほったらかして好き勝手生きていれば父はやりたいことをやって生きていけたかもしれません。
もっと人生を楽しんで生きれたかもしれません。

父のおかげで、今のボクがあります。
今日までの日、一瞬たりとも父への感謝の気持ちを忘れたことはないです。

心から思います。
ボクの父親は、最高の父親です。
しかし同時に強くこうも思うのです。

「もしあの時父親が”雇用されずに生きる力”を持っていれば、やりたくない仕事を無理にやらずとも生きていけたのに…。」

雇用されずに生きる力を身につけることは、人生の選択肢を広げます。
この力を身につけるだけで、人生の主導権を握ることができます。

誰もが身につけるべきだと思いますし、身につけてほしいと思います。
”雇用されずに生きる力”。

 

入学した進学校を、わずか半年で退学した高校時代。

中学の後半に猛勉強した結果、無事に地元の進学校に合格します。
…が、わずか半年でやめました。

理由は”勉強面での挫折”です。
中学生までは勉強していなくとも割と上の順位をキープすることができました。
一時は3ケタに近かった成績も、必死の勉強で卒業前には20番以内ぐらいには入っていました。

ところが進学校に入ると周りもみんな他の学校で成績が上位だった人ばかり。
合格こそすれど、入学後、ボクの成績は3ケタどころか後ろから数えた方が早い順位まで一気に落ちてしまいます。

当時のボクは「自分は頭がいい」という謎の自信があったのですが、いくら勉強をしても成績なんてほんの少し上がるかあがらないか…。
なんなら下がることもあるぐらいでした。

ボクの持っていた勉強に対するちっぽけな自信は、あっという間に粉々に打ち砕かれます。

「学校つまんね…。」

無駄にプライドの高かったボクは、通っていた学校をやめました。
勉強で順位があがらない自分を許せなかったのです。
超プライドの高い後先のことをなにも考えないアホちんですね。

高校をやめた後は、1ヶ月ほど何もしていませんでした。
しかしこれもまたしんどかった…。

『何もしない』というのは想像以上の苦痛を伴います。

ただ家にいて飯を食べているだけ。
自分は世の中に何も有益なものを提供していない。
いてもいなくても一緒なんじゃないか…。

不安や恐怖でおかしくなりそうでした。

学校に通っているときよりもずっとしんどかったです。
世の中とのつながりがなくなるというのはこんなにしんどいものなのかと感じました。

1ヶ月もひきこもっているともう限界です。

外との繋がりが欲しくなって、ラーメン屋で人生初のバイトを始めます。
”時給600円”という今になって思えば法律違反だろレベルの低賃金で全然稼げなかったですが、それでもひとりでいるよりずっと幸せでした。

「誰かのために働くってこんなに素晴らしいことなのか…!」

働くことの喜びを知りました。
このとき経験した”ひとりの時間のつらさ”、そして”働くことの喜び”は今でも貴重な財産になっています。

しかし、そのラーメン屋も2ヶ月ほどでやめました。
仕事がしんどかったというわけではありません。
このまま人生を進めてもいい方向には動かないと思ったのです。
高校を中退し、中卒で働ける職業は本当に限られた職種だけ。

「やっぱり高校は行っとかなきゃだめだ…!」

強い決意のもと、再び受験勉強を始めます。
年齢のことがあるので通信制の高校も考えましたが、いざとなったときに大学進学という選択肢を持てるように、進学校を選択しました。
そして必死の努力の末、無事入学を果たします。

そこから3年間が”超”大変でした…。

当たり前ですが、周りはみんなひとつ年下です。
高校生の年代で周りがみんな年下というのは思った以上の疎外感がありました。
なかなか馴染めずとにかく友達ができない…。

またしばらく”ひとり”の時間が始まりました。

ケド今思えばみんな仲良くしてくれようとしてたと思うんですよね。
ボクが勝手に壁を作っていただけで。

仲のいい友達ができない場合、たいていの理由は自分にあるような気がしています。
心をオープンにして接すれば、もっと友達ができたんだろうなと思います。

人見知りなボクにはそれができませんでした。
たぶん拒絶されたり、恥をかくのが嫌だったんでしょう。
心のどこかに「自分は一つ年上なんだぞ」というしょうもないプライドもあった気がします。

そんなこんなで、お昼休みは母ちゃんが作ってくれたお弁当をひとり、心が締め付けられそうな思いをしながら教室の片隅で食べていました。

…しんどかったです。

前以上に、何度も学校をやめたいと思いました。
でもさすがにここでやめるわけにはいきません。
一度学校をやめて、再入学を決めたのは自分です。
ここでやめたら超自分勝手なわがまま根性なしクソヤローです。

毎日ひとりの時間に必死で耐えて、歯を食いしばって学校に向かいました。

なんとか周りと打ち解けようと話しかけては失敗しての繰り返し。
精神的にボロボロのまま帰ってそのまま眠り込んで、また翌日ひとりに耐える日々。
どうしてもしんどい時は休んだりしたこともありました。

経験したことがある人はわかると思いますが、”孤独”って本当に辛いものです。
本当に死にたくなるほどつらい。

でもそのつらい経験ができたおかげで、ひとの痛みがわかる人間になれた気がしています。
すべての経験はあとあと活きるものですね。

ですがつらかったという高校生活も、ずーっと辛かったわけではありません。
少しずつ少しずつ、信頼できる友達ができます。

初めてバンドも組みました。
自分たちでオリジナルソングを作って、道端で路上ライブやって、ライブハウスでライブして。
僕らが作った曲に「感動した」といってくれる人もいました。
逆にこっちが感動したのを覚えています。

「自分で作詞作曲して歌った曲が感動したと言ってもらえているんだ…。」

コンテンツを作り、ひとの役に立つことに大きな喜びを感じました。
ものづくりが好きな性格はこういった経験からきているのかも。

高校の時に出場した”ナキワラ”という大会では、県の代表にも選ばれました。

本気でなにかに取り組むことはそれだけで価値があると思いますが、それで結果を出せるというのはこの上ない幸せだと思いますね。

高校の時は友達少なかったので、勉強する時間はたっぷりありました。笑
ひとりの時間をフル活用して無事に地元の大学に合格。
とてつもなく長く思えた高校3年間が終わります。

 

後悔だらけの大学生活。

大学生活を振り返ると本当にたくさんの後悔が残ります。
結論からいうと、なにに対しても本気で打ち込むことなくあっという間に4年間が終わりました。

  • 勉強 → 単位ギリギリで卒業。
  • 軽音サークル → なんとなーく楽しくやってただけ。
  • バイト → 遊べるお金が手に入るぐらいに働く。
  • 休みの日 → パチンコとスロット。

ずーっと適当に毎日を生きていました。
こんな感じでのらりくらりとしていたら、いつのまにか卒業式を迎えていたのです。

たくさんの時間があったにもかかわらず、なんのチャレンジもしませんでした。
なんのスキルを磨くこともありませんでした。

「もっと本気で打ち込める何かを見つけて必死になればよかった…。」

どんなに後悔してももう遅いのはわかっていますが、今でも悔やまれます。
あの頃の自分に会えたら「もっとしっかりしろっ!」とぶん殴ってやりたいです…!!
しかしこの大きな痛みと引き換えに、学んだことがあります。

「過去は変えられないが、未来なら変えられる。
そしてその未来は今この瞬間、自分がなにをするかによってのみ変わる」

たとえばこれから先、10年後、5年後、3年後、1年後、もっといえば明日、少しでも後悔をしないよう今を全力で生きる。

2度とあんな後悔は味わいたくありません。
この学びが得られただけでもよしとすることにします。

といっても、まったくの無駄だったかというとそうでもありません。
大学でもまた多くの友達ができました。

友達と2人で鹿児島一周ドライブしたり、
卒業旅行で屋久島に行ったり、
所属していた軽音サークルで毎年キャンプに行ったり、

いい思い出もたくさんあります。
それぐらいだけど。笑
もっと冒険しときゃよかったなぁ…。

ちなみにボクは大学時代、就活もしませんでした。
”社員としてガッツリ働きたくなかった”というのが本音です。

とはいえ何もしないわけにもいきません。
なにもしないことのつらさは、最初の高校をやめた時にイヤという程味わいましたからね。

「さて、どうしよう?」

大学生だったボクは考えます。
就職せずとも世間体として問題がなくて、さらに将来的に働くことにも繋げられる今できること…。

「…司法書士の勉強をしよう!」

難関の国家試験の勉強をしていれば、世間体としてもいいわけがたちます。
さらに、合格すれば将来的に個人でやっていくことも可能。

「司法試験は超難易度高いから無理でも、司法書士試験ならなんとかなるだろう。」

そう考えて、司法書士の勉強を始めます。

…完全に世の中なめてますね。
とにもかくにも、そんな消極的な理由かつ甘い判断のもと、司法書士の勉強をはじめます。

 

司法書士を目指して、いざ東京へ。

鹿児島に司法書士の勉強を教えてくれるスクールがあったので、在学中から1年間ほどそこに通っていました。
しかし、司法書士試験の勉強を始めた理由が理由なだけになかなか気合が入りません…。

「もっと勉強せざるをえない環境を作らなきゃ!」

東京で一人暮らしをしている親友になにかいい方法がないか相談をしたところ、こうアドバイスをしてくれました。

「東京きて勉強したらいいよ。ぼくのとこに一緒に住めばいいじゃん」

…本当にもつべきものは”友”ですね。
確かに地元を離れて東京へ行けば、遊びたくても遊ぶ友達もほとんどいません。
鹿児島を離れて東京に勉強をしに行くという大義名分ができるので、いやでも勉強せざるをえなくなります。
また司法書士の受験に特化した学校もいくつかあるので、学び先の選択肢も広がります。

「よし、東京へ行こうっ!」

こうしてボクは、初めて地元を離れ上京しました。
東京に着いてからは、節約しながらバイトと勉強の毎日。

朝8時頃から1日5〜6時間ほど100円均一でバイト。
お金がないのでスーパーで安売りされている鮭を1匹買って帰って、ご飯の上に乗っけて食べます。
たまにイオンで売ってる5袋で198円の激安インスタントラーメンを2袋分あけて湯がいて食べました。

食べたら、渋谷にある専門学校へ。
電車に乗るとお金がもったいないので、安い折りたたみ自転車を買って毎日チャリで1時間ほどかけて向かいます。
夜10時ぐらいまで勉強して帰宅。

1年弱ほどこのような生活が続きました。
毎日毎日同じことの繰り返し。
そしてある日、ふと気づくのです。

「なにこれ全然おもしろくない…」

時間をかけて勉強していますが、もはや頭の中のスイッチはオフ。
まったく集中できていないため、さっぱり頭に入りませんでした。
通っていた専門学校で定期的に受けていたテストも全然ダメ。
結果が出ないのでどんどんやる気を無くしていきます。

「今度の試験でダメだったらもう就職しよう…」

就職関連の情報を調べてみますが、ネットで検索をすると「新卒でない場合の就職はかなり難しい」との情報ばかりが目に入ってきます。

「これもしかして今さら就職すらできないんじゃ…」

将来のことを考えるとかなり憂鬱な気分になってしまい、ついに勉強も手につかなくなってしまいました。
当時のボクは人一倍心配性だったので、将来を悲観しては勝手に落ち込んでしまっていたのです。

「ボクって何しても中途半端な人間だな…」

何をやってもうまくいかない自分が情けなくなりました。
何をやっても結果が出ない自分をぶん殴りたくなりました。
何をやっても中途半端な自分が大嫌いになりました。

こうしてボクはすっかり”自信”をなくしました。
そんなボクを待っていた試験結果、当然ながら”不合格”
もうなにも考える余裕がありません。

「なんのために東京にきたんだろう…」

もはやもぬけのからとなったボク。
少しでも暇があると将来に対する不安から気分が落ち込んでしまうので、余計なことを考えないように暇があればひたすらにランニングしました。
走ってる間は走ることに必死になれて、余計なことを考えずに済んだからです。

「これからどうしようかなぁ…」

行動もせず、毎日のようにただただ将来を悲観していただけの日々。
今から就職しようにも社会人経験のないボクを雇ってくれる会社はないんじゃないかという不安と常に戦っていました。

そんなある日、東京で働いている友人がこんな声をかけてくれます。

「うちの会社社員募集してるから、面接受けてみたら?」

このひとことがきっかけとなり面接を受け、無事に?正社員として働き始めることになります。

こうして司法書士試験を諦めたボクの社会人生活がスタートします。

 

保険営業としてがむしゃらに働きまくる。

はじめての就職。
…ボクは世の中のすべてのサラリーマンを尊敬しました。

「仕事ってこんなにしんどいの…?」

ボクが勤めた会社はベンチャー企業で、まだ若い会社でした。
社員の平均年齢も30歳前後、社長ですら30歳を少し過ぎたぐらいです。
社内はいつも活気に溢れており、若手の営業会社ということもあって怒号が飛び交うことも多しばしば。

ちなみに業務内容は、個人のお客様に電話をかけて、医療保険・生命保険を中心に提案するというもの。
最初の1ヶ月こそ座学研修でそれほどしんどくはありませんでしたが、その後はひたすら電話をかけまくる日々。
1日に少なくとも100人、多い時は200人近くのお客様に電話をかけました。

「え、保険?もう入ってるからいいよ!」
「どこで電話番号知ったんですか?」
「電話してこないでください」

もうメンタルぼろぼろbろorigoaioruooo…

もともと精神的にあまりタフではないので、あまりのお断りの多さに完全に精神的に病みました。
慣れるまでは本当にしんどかった…。

営業は成績を出してなんぼの世界です。
営業経験がなかったボクが営業成績をあげるには量をこなすしかありません。
人より1本でも2本でも多くコールをすることを心がけ、仕事前と仕事後の時間、さらに休みの日は保険知識を詰め込んだり、営業本を読み漁って勉強しまくりました。

毎日朝6時半に家を出て、帰ってくるのは23時前。
帰って少し横になると電気つけっぱなしで寝ていて、いつのまにか朝を迎えています。
日付変わったのかどうかすらわからない状態でさっとシャワーを浴びて会社に向かう日々。

それでも営業成績はなかなか伸びず。
営業成績が伸びないのでみんなの前で上司に怒鳴られ、毎日のように詰められていました。
そんな生活を続けていたある朝、ついに体に異変が起きます。

「く、口があかない…」

たぶん寝ている時に相当な力で歯を食いしばったり、歯ぎしりしていたんでしょう。
口が5cm前後くらいしか開かなくなってしまったのです。

一応しゃべれるのはしゃべれるのですが、しゃべるのでいっぱいいっぱい。
固形物を口の中に入れるのは難しいので、なるべく流動食的なものを選択して食べていました。

歯医者に行ってマウスピースを作ってもらい、毎日少しずつ開口幅を広げるリハビリをして少しずつ口は開くようになりましたが、後遺症でアゴのずれから噛み合わせが悪くなってしまい、アゴの痛みからいまだに偏頭痛が頻発します。

ストレスおそるべし…。

入社から半年ほどたったある日、大阪の支店に転勤が決まります。
とはいってもやることは同じです。

毎日ひたすらお客様に電話をします。
転勤してからも必死で頑張ってみましたが、正直なところ営業成績は人並み程度までしか上がりませんでした。

今思うともう少し頭を使って努力のしようがあったんじゃないかと思います。
しかしこれ以上保険営業を続けていてもあまり成績は上がらないと考えました。

「苦手分野に時間を投資するのをやめ、得意分野を開拓してそっちに時間を投資しよう!」

そう決断し、3年間続けた最初の就職先をやめました。

しんどいことも多かったですが、それ以上に多くの学びがありました。
社長含め尊敬できる上司、関連会社の方々とのたくさんの出会いもありましたし、あらたな自分の発見もできました。
給料は多くはありませんでしたが、お金では表せないたくさんの価値をいただいたと思っています。

人との縁というのは本当にありがたいものですね。

現在のボク!

今現在、コールセンターに勤めながら『雇用されずに生きる力』を身につけるべく、日々とにかく一生懸命に生きています。

はっきりいってボクが人生をかけて本当にやりたいことはなんなのか、自分自身でも未だにわかっていません。

でもとにかく、死ぬときに「もっとチャレンジしとけばよかった…」と後悔の多い人生にはしたくない!
死ぬその瞬間、心の底から「最高の人生だった!」と胸を張っていい切れる人生にしたい!

そんな思いを胸に、毎日必死で生きています。
ボクの人生の目的は、「できうる限り最高に面白い人生にすること」

色々な人に会って、たくさんの友達を作って、数々の経験をして、たくさんチャレンジと失敗をして、ボロボロの傷だらけになりながら、振り返った時に最高だと思える人生にしたいです。

 

マインドセット

1、自分の『言葉』が、自分の『人生』を作る。
2、『知っている』と『できている』は違う。
3、いまやるか、一生やらないか。
4、すでに幸せを手にしていることに気づく。
5、明日死ぬかもよ?
6、今日だけ頑張る。
7、いつだって遊び心をもつ。
8、宇宙の広さと歴史から考えれば、自分なんてほんのちっぽけな存在である。
9、毎日全力で生きる。
10、昨日の自分に勝つ。
11、燃え尽きるほど本気で生きれば人生はめちゃくちゃ楽しい。
12、自然体で、いい加減。
13、人にはバカにされてもいいし、恥はかくためにある。
14、自分より強い奴を倒せ。
15、ひとにして欲しいことは、同じことをまず自分から。
16、常に感謝の心を持ち、それを伝え続ける。
17、人生はゲーム。
18、人に優しく、自分に優しく。
19、生まれてきただけで超絶ラッキー。
20、等身大の自分を認め、その自分を少しずつ大きくしていく。

 

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コメント

  1. Ryosuke H. より:

    こんばんは!
    ちょくちょくブログを拝見しておりました。しばらく前のことになりますが、フェイスブックでの誕生日コメントありがとう!嬉しかったです。楽曲業務の都合上SNS関係はほどんどやめてしまったけど、これからもお互いがんばりましょう^ ^

    • user_name より:

      Hさん
      コメントありがとうございます^^
      また会って、酒を飲みながらでも話ができるのを楽しみにしています^^

  2. けん より:

    屋久島行ってみたいと思ってた!!
    リゾバでいってきますね(* ̄▽ ̄)ノ~~ ♪