「曲を好きになるかは、ある人を好きになるかどうかに似てる」見た目も中身も大事だけど…

日記 / 雑談

TicTocをボケーっと見ていると気づけば2時間過ぎていて、TicTocの底知れない魅力に声にならない声をあげそうになることがあります。

こんにちわ!
えんぴつ職人 (@MusicmanOf) です!

 

 

さて。

ここ最近はApple Music と YouTube を駆使して、ひたすらに聴いたことのない新たな曲を聴きまくっています。

んで、新たな曲を探してると、「ある楽曲を好きになるかどうかは、ある人を好きになるかどうかに似てるなぁ」と感じたので、その話をしようと思います。

 

 

曲は「メロディーライン」と「歌詞」でできています。

これらは人間でいうところの「容姿」と「中身」です。

初対面の人に対して、清潔感がなかったり、服装がダサかったりするとそもそも話をしようと思わないように、メロディーラインが好みに合わないと、ほぼ最後まで聴かずに終わります。

一方で「このメロディーライン凄い好きっ‼︎」と思えた曲でも、「歌詞」に共感できなかったり、いってることが浅かったりすると、しばらく聴いてすぐ飽きます。

…どれだけ容姿端麗だろうが、中身がない人と付き合ったときのように。

 

 

人であれ、楽曲であれ、「本物のコンテンツ」は飽きられることなく求められ続けます。

「外見」と「中身」のどちらか一方が良くてもだめで、どちらも重要です。

もっといえば、「中身」は凄くいいのに「外見」で損をしてる、これはめちゃくちゃもったいないパターンだと思います。

「曲」や「人」に求められるのは、「中身」を磨きつつ(これがベース)、「外見」でせめて「生理的に無理><」と言われないレベル、可能であれば「あ、なんかいいかも…!!」ぐらいに持っていくことなんですね。(「好き好き‼︎大好きっ‼︎」まで持っていけたら最高ですが、人によって好みが分かれるのでさすがに難しいと思います)

外見で受け入れてもらえてはじめて、相手はこちらの「中身」を知ろうとしてくれます。

与えられた容姿がある以上、「人」が見た目を磨くにあたっては限界があるかもしれませんが、「曲」に関してはいくらでも工夫できますよね。

「大多数の人に受ける曲作り」をするなら、まずはどんなメロディーラインなら受け入れられやすいかを徹底的にリサーチしてメロディーラインを作ってみたり、先日お伝えしたような映像と組み合わせてみたりなど、受け入れられやすい努力をするべきです。

…と、ここまでが「ある楽曲を好きになるかどうかは、ある人を好きになるかどうかに似てるなぁ」と思ったはなし。

ここから思考をもう少し深掘りします。

 

 

時代は変わりつつあって、今は誰でも発信できる時代になりました。

外見も大事とはいえ、本質は中身にあるので、中身を強烈に磨きまくることで、最初は受け入れられなくても、「これやべぇ…!!」と誰かが思えば、twitter や Instagram などで共有されてバズる可能性だって十分あります。

そうすれば、そのコンテンツ(曲 / ひと)が時代の常識を変えることになるでしょう。

人は見た目が9割といいますが、今の時代では「中身を磨くのに9割、外見を気にするのは1割ぐらいでも十分なのでは?」とすら思います。

外見磨きは、損しない程度でいいです。

ベースは徹底的に自分を磨くこと。

「外見磨き」と「中身磨き」の優先順位を履き違えちゃうと、中身のないうすぺっらいやつになっちゃうので注意しないといけません。

 

 

今回は以上でーす。
それでは、また^^

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