「超絶努力する」
…決してバカにしているわけではありません。
最近NewsPicksでチームラボ代表の猪子さんの特集記事を読んで、次のようなツイートをしました。
「全面的に努力肯定派。才能はあまり信じていない。」
チームラボ代表の猪子さんのことば。
才能という言葉は、努力していない人がいいわけする時に使ってしまう言葉な気がしてる。もし自分が尋常じゃない努力で結果を手にした時、「才能」で片付けられたらあまりいい気はしないかも。
— ゆーだい@フリーランスを目指す者 (@MusicmanOf) 2017年11月14日
もしあなたが何かしらの目標を持っていてその結果が出ていないのなら、原因はたったひとつです。
「圧倒的に努力が足りていないだけ。」
結果を出すために必要なのは”才能”ではなく”努力”
ボクは”才能”という言葉がめちゃくちゃ嫌いです。
よく自分が出したい結果を出せない時に「才能がない」といったり、逆に人が出した結果に対して「すごい才能だ」とかいう人がいますが、それってはっきりいって”言い訳”ですよね。
「才能がない」といえば確かに自分のメンツは保たれます。
「自分がだめなんじゃなくて、結果を出している人が特別なだけ」っていえますからね。
あくまで自分は”普通”という立ち位置を強調できるわけです。
でもそれって超かっこわるいですよ。
はっきりいって結果が出てないのは単純に自分の努力が足りてないだけ。
そして結果出しているひとは自分が知らないだけで超努力してます。
その努力をなかったことにして「自分には才能がない」って…
超ダサいです。
「才能がない」と言うのは、これ以上ない努力をやってから。
実はなにを隠そうボク自身、なにかやっては結果を出せない日々が続くとすぐ「自分には才能がない」といって逃げるバカチンでした。
でもある日気づいたのです。
「才能がないことを言い訳にしていてもなにも変わらない」
そこから「才能がない」という言葉を口にするのはやめました。
「才能がない」で片付けている限り、一生自分の望む結果なんて出せません。
「才能がない」という言葉は、「これ以上努力のしようがないほどの努力をしたと自他共に認めた時だけ」使うことに決めました。
野球漫画の『メジャー』で読んだ気がするんですが、主人公が「才能がないからやめる」といったチームメートに「才能がないと言い切れるだけの努力はしたのか?」と疑問を投げかけるシーンがあります。
まさにその通りだと思っていて、「才能がない」といっている人のほとんどが、才能以外の要因は絶対にないと言い切れるだけの努力をしていないです。
もしそこまで努力しているのであれば、必ず何かしらの結果が出るでしょう。
あの”天才”といわれているイチローもこんな言葉を残しています。
努力せずに何かできるようになる人のことを「天才」というのなら、僕はそうじゃない。
努力した結果何かができるようになる人のことを「天才」というのなら、僕はそうだと思う。
人が僕のことを、努力もせずに打てるんだと思うなら、それは間違いです。
イチローでさえ天才ではなく、圧倒的な努力の上に結果を出しているわけです。
才能なんていう言い訳がましい言葉なんて自分の辞書からなくした方がいいですよ。
まとめ。
全て努力だけで実現できる。
才能なんていう概念はありません。
結果が出てないのならそれは努力が足りていないだけ。
結果が出ているのならそれは才能ではなく圧倒的に努力しただけ。
結果がでてないのなら、結果を出すべくもっと想像を超えるような努力をしましょう。
それほどの努力ができそうにないなら、それはあなたのやりたいことではありません。
さっさとやめて他に自分がやりたいと思うことを見つけましょう。
努力は必ず報われます。
少なくとも僕はそう信じてます。
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