いまのところ、ボクの人生の大部分を占めている「平成」が終わりを告げました。
喜怒哀楽がぎゅっと凝縮された元号でしたが、「令和」はもっと濃く、自分らしく人生を生きていこうと決意を新たに電車の席から勢いよく立ちあがったら、吊り輪に頭をおもいっきりぶつけて令和に入って早くも自分らしさを発揮したドジ太郎 (@MusicmanOf) です。
さて。
ここ最近、友人が亡くなったであるとか、重い病気にかかったなどという知らせを聞くことが増えています。
とても悲しい思いをすると同時に、あらためて当たり前のように生きている今日というこの日だって当たり前じゃないんだな、と感じさせられています。
誰でもいつかは必ず「死」というゴールテープを切ることは間違いなくて、もっといえばそのゴールテープはいつ、どこに用意されているのかさえわかりません。
もしかしたら10年後かもしれないし、1年後かもしれないし、明日かもしれない。
ただ、これは別にネガティヴに捉えることではなくて、むしろ個人的にはとてもポジティブなことだと思います。
かりに「死」がなければ、無限に時間を持つことになるので、時間の価値は一気に下がりますし(というかないに等しくなる)、そうなると「時間あるし、また今度でいいや」が続いて、濃度のうっすい人生になることでしょう。
「死」があることで、時間に価値が生まれ、時間の濃度が上がります。
「生きている間」という貴重な時間をどう過ごそうか?という思考を持つことができます。
なので「死」というゴールは絶対にあった方がいいです。
問題は、「いつ」死が訪れるかわからないことです。
「死」があるのはいいんですが、「いつ死ぬかわからない」というのは結構やっかいです。
明日死ぬのと、50年後に死ぬのとでは、そこにかける準備がまったく違ってきますよね。
明日死ぬとわかっているなら、残ってるお金ぜーんぶまとめて使っちゃいますが、50年後に死ぬならそういうわけにはいきません。
稼ぎ方や、普段の生活費、貯金など、ある程度の計画を立てる必要があります。
長生きした場合のリスクを回避する計画を立てつつ、とはいえ事実として明日死ぬ可能性もあるから、目の前のやりたいことはどんどんやることが理想ですね。
しかし、現実をみてみると、ほとんどの人は長生きした場合のことに比重を置きすぎです。
伊坂幸太郎の小説(どの小説だったかは忘れましたごめんなさい)にこんなセリフがありました。
「あなたの今の生き方は、どれぐらい生きるつもりの生き方なんですか?」
…刺さりましたねー。。
自分自身の生き方を振り返ったとき、「何百年生きるつもりなの?」っていうぐらい先のリスクにしか備えていませんでした。
なんども言いますが、明日死ぬ可能性だってあるんです。
先のリスクにだけ備えて、いまを見失うと、間違いなく死ぬときに後悔します。
「あなたの今の生き方は、どれぐらい生きるつもりの生き方なんですか?」
長生きリスクについては2割…どんなに大きくても3割ほどの割合をさけば十分です。
それよりも、いま、目の前にあるやりたいことに集中するのがいいでしょう。
だって、明日死ぬかもしれないんですから。
とてつもない確率で生まれてくることができて、
身分なんかない平和な時代に生まれることができて、
食べるものに困らない日本に生まれることができて、
ボクたちはスーパーラッキーな人間です。
せっかくのラッキーなんですから、死ぬまでの時間を思う存分楽しむのが吉ではないかと思います^^
先のリスクに備えるのもいいですが、ぜひ目の前のことにやりたいことに集中してみてください。
それではまた。
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